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歴史と由来
 

 

 

 

 石山寺で源氏物語の想を練る紫式部と人形が岩間に出没する風景を林孫之進が享保3年に完成した。 それは紫式部人形を収めた箱のふたに制作年代と名があることからわかる。 林孫之進の銘のあるもっとも古い文書は従来、鯉山の鯉にある宝暦12年(1762)であった。ところが、新たに享保3年(1718)の林孫之進作の紫式部が発見された。
 林孫之進の作風は鯉の滝登り、狸山の桜の精のエスカレータ工法、西王母山の桃から出現する桃太郎など、はなはだ奇想天外、いずれをとってみても、その発想の妙味は他の追随を許さない独特の境地が展開している。源氏山の岩間に出没する風流、人物、風物が立体のまま動く。しかも人物が消えると風景が変化する。この発想の風流は当代随一のものである。文字通り「からくり戯れ」の本領といえる。これは林孫之進の作風であることは万が一銘が無くとも孫之進の作であることは誰しも疑う余地のないことを念頭に置きたい。300年前に、この人形とこの機構が創作されたことは間違いないであろう。またこの3世紀の間に幾度も修復されたことであろう。現代の回り舞台式「扇」は回転軸にボールドナットを用いている。軸部分の材料と同時代とすれば大正末期のものであろう。式部人形は京都の田中弥で修復されたので頭は塗り直され、髪は人毛でなく絹毛にかえられたらしい。右手の身振りの仕掛けも取り替え修復されている。 顔は塗り直されているが林孫之進の作風である。このことは鯉山の貴人、桃山の西王母山などと、顔相が共通しているのでよくわかる。最後に扇の機構について特に注目しなければならない。 写真でもわかるように、山の蔵にこれが格納される際に、この扇に要があるので、扇のように綴じ込んで収められるので、この回り舞台を扇と呼んでいる理由がよくわかるし、この構造の特徴と、取り扱いの便利さがよくわかる。6本の輻(「や」と読み車輪のスポークを意味する)と輻の間にだけ布を貼止めている。そのため回り舞台と少しも変わらない効果が得られる。この処理方法に発送の絶妙さがある。やはり孫之進の発想であろう。 三世紀前の機構がそのまま残ることは難しい。古いままの復元であればその構造はそのまま伝承されるであろう。

山崎構成記「大津祭り総合調査報告書(9)源氏山 滋賀民族学会発行 1975年発行」より抜粋

また、同志社大学文学部教授 山田和人氏の「甦った曳山からくりー大津祭り源氏山の場合ー」の中で以下のように述べられている。
「人形浄瑠璃の舞台において展開されていた行列人形のからくりそのものを、あるいはそれをヒントにして源氏山のからくりを考案したものと推定される。元来、からくり師は山崎氏が想定されたような独創性を目指したものではなく、すでに考案されているからくりを新たな意匠で作り替えたり、別の要素を組み合わせることによって目新しい演出を工夫したりするところに、その腕前があったのである。その意味では、林孫之進は見事なからくり師であったと言えよう。」

 

 

 

からくり正面図
からくりを上から見下ろした図。中央の軸から放射状に出ている「輻」の先端に小人形が乗る。

からくりを側面から見た図。

山崎構成記「大津祭り総合調査報告書(9)源氏山 滋賀民族学会発行 1975年発行」より図版抜粋

 
鯉山のからくり
西王母山のからくり

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