大津祭 曳山連盟ホームページ
紫式部 源氏山ホームページ
歴史と由来
 
源氏山は別名紫式部山ともいい、大津市石山寺や紫式部に因んだ装飾を持っている。資料によれば山の制作年代は享保三年(1718年)で、曳山の由来は石山寺で源氏物語を書いたという故事による。このことにより平安様式を意識したのか曳山下部に蔀(しとみ)を装い、その外部に和様高覧をめぐらしている。
上層部では柱上三ッ斗の斗栱間(ときょうま)に近江に因んで近江八景を高肉彫の精巧な彫刻を入れ、唐破風下の妻飾り彫刻は浪に踊る龍が入っている。その外部に大きな桐に鳳凰の懸魚が飾られている。前後左右の装飾はそれぞれ同じではない。天井は四列七行に区分した格天井で「四季草花図」と呼ばれる図を写生風に描かれている。その後方角には銘があり「元治乙丑秋 玉峰」より江戸末期(1864年)作と考えられる。制作年代より150年後の江戸末期に大きい修理の記録があり、建築的細部も江戸末期とみられこの天井画もその頃描かれたのであろう。
 
 
源氏山は源氏物語を主題として全体が構成されている。主役は林孫之進作のからくりによる紫式部である。舞台は石山寺。回り舞台の形式を用い、物語の構想が現れては消える、紫式部の思考を具体的に見せるため、平安風の子人形たちを使って表現している。
また大津で行われる祭事にちなみ「近江八景」という題材とを融合するため、紫式部のからくりを囲むように近江八景の欄間が彫刻されている。しかしこの欄間に「石山の秋月」は刻印されていない。「七景」しかないのである。からくりに戻って考えると「源氏物語 須磨の巻」を構想している紫式部at石山寺 そのものが「石山の秋月」となっていることに気がつく。大津祭りは秋に行われる。これでやっと「八景」になる。よくできたコンセプトワークであるがこれを理解しているのは、この源氏山を作った人々のみであることを忘れてはならない。欄間の彫り物に「石山の秋月」が欠けているどころか、近江八景があることすら外からではわからない。何のためにそこまで凝るのか。
このからくりと欄間を長谷川玉峰の天井画「四季草花図」と胴幕の「草花図」でさらに引き立てている。
また源氏にちなんで、源氏香図をも採用している。これら「源氏」と「近江」をミックスし当時のテクノロジーを駆使したからくり人形をもってして、「源氏山」の完成となるのである。
 
 
 

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